

今の時代、キャリアの端境期にいるミドルの悩みは深い
45歳から55歳くらいまでの間は、キャリアの端境期ではないか、と考えています。キャリア相談の内容と私自身の経験とを照らし合わせると、そのように思われるのです。早い方は40代前半から端境期に入って、人生後半の働き方に悩み始める人もいます。 45歳から55歳くらいまでを、私がキャリアの端境期と考えるのは、それ以前とそれ以降では働き方を変えなければならず、その移行期として試行錯誤を重ね、新しい働き方を見出すまで、人によっては成果を出しづらくなる期間だからです。 若いころはスキルアップやその結果としての昇進・昇給を目指して頑張っていても、40歳も過ぎてくると、だいたい自分の潜在能力というものがわかり、会社からどのように処遇されるかも予想がついてきます。その時に、どのようなキャリアを描けばよいのでしょうか? 会社の先行きすら不安に思える時に、自分の将来を会社まかせにしていては不安だし、かといって、転職しても悩みは解決しそうもない。そのことに気づいているゆえに深まる悩みです。 年齢をどのように重ねるか、人生(キャリア発達)の課題に向き合うと同時に、社会制度や


フランスの学力試験で18歳の若者が問われるのは
5月19日(金)に、教育ITソリューションEXPOに出かけてきました。教育分野のキャリアコンサルタントではありませんが、若い人たちに社会が何を期待して、どのような施策を打ち出しているのか、知っておくことも必要だろうと考えたからです。目当ては、2つの講演でした。1つは、『高大接続でどう変わる? ~AI時代への教育改革』(文部科学省文部科学大臣補佐官 鈴木寛氏)、もう1つは『ネットの高校「N高」の取り組みについて』(角川ドワンゴ学園理事/カドカワ(株)代表取締役社長 川上量生氏)です。 私にとっては新鮮な話題が多く、どちらも刺激的で面白かったです。 文科省の鈴木さんのお話の中で一番印象に残っているのが、フランスのバカロレアの設問です。「我々は幸せになるために生きているのか(理系)」とか「なぜ自分自身のことを知ろうと努めているのか(社会科学系)」という問いが例として紹介されていました。 日本の大学入試では、採点が難しいので出されることはないだろうと思いました。このような問いに答えようとする若者と、日本のように知識の豊富さを問われる若者では、生き方や価値


燃え尽きた灰の中から生まれてくるもの
50代の方にご経歴を伺っていますと、40代で「燃え尽きた」ことが転機になったという方がいらっしゃいます。そのタイミングで、自らキャリアチェンジを図ったり、社内の異動で違う職務にアサインされたり、その結果、新境地を開いたとおっしゃいます。 アメリカ発祥の「燃え尽き症候群」という言葉は、日本では1980年代後半に発行された書籍をアマゾンで見つけることができます。今では「燃え尽きた」という言葉は、重篤な状態を指すばかりでなく、わりあい気軽な場面でも使われるようになっていると感じます。 その中でも、40代以上の方が燃え尽きたエピソードを語られることには、特別な意味があるように思います。 私自身のことを振り返りますと、若い頃から仕事好きを自認していましたが、40代半ばに大きなプロジェクトに取り組んだ後、年齢的な体調の変化も重なって、体力・気力の衰えに直面しました。やはり「燃え尽きた」のかもしれません。 それまでは、男性に負けまいと、ずいぶん肩肘張った働き方をしていました。自分への期待水準が高く、自分で自分の仕事に納得できないという気持ちも、とても強かったの


仕事が虚しくなったときが、自分の本心を知る良い機会
ふっと、自分がやっていることが虚しくなるとき、無意味に感じられるとき、おありでしょうか? この問いに対して、ふたりの方を思い出します。 お一人は、アパレルショップを経営していた方。洋服の買い付けにヨーロッパへ出かけた帰路、地中海で休暇をとったのだそうです。美しい海と空を見ていたら、「自分はいったい何をやっているのだろう」と思い、帰国後、社員に暇を出し、店をたたんでしまったそうです。 もうお一人は、大きなディールを扱う証券会社の社員としてアメリカで働いていた方。ある日、自分のやっていることが虚しくなり、退職して世界放浪の旅に出られました。今は、環境ビジネスに携わっていらっしゃいます。 多くの方がうらやむような職業(立場)、収入を手に入れていたおふたりが、何を思って手に入れたものを捨ててしまったのか、本当のことはご本人にしかわかりません。ただ、欲しいと思って手に入れたものが、思ったほど魅力的ではなかったことに気づいたのではないかと、想像しています。 あるいは、手に入れたものを維持するために払う犠牲が負担になってしまったのか。はたまた、外的キャリアを追


働き方改革というけれど
おおっぴらには言いにくいものの、忙しすぎるという理由で転職される方が少なからずいらっしゃるのではないかと思います。「実は。。」とお話されるご相談者もいらっしゃいます。 ところで、忙しいのは、会社や上司のせいとばかりは言えません。同じ職場や担当業務のメンバーを見回してみると、妙に余裕がありそうな人もいれば、いつも忙しそうな人もいるのではないでしょうか? いつも忙しいという人は、自分で忙しくしているのかもしれません。評価されたいとか、嫌われたくないという思いから、仕事を断れなかったり、日程の調整に自分の意向を反映できなかったり。人と仕事を分担するのが苦手で、つい仕事を抱え込んでしまったり。そもそも「忙しいのが好き!」という方もいらっしゃるかもしれませんね。スケジュールに空きがあると、ほっとするよりも不安になるとか? 忙しさの原因が、自分自身の働き方にある場合は、転職しても忙しさを解消することはできません。結局、身心の健康を損ねて、自分がギブアップするまで、忙しく働き続けることになる可能性があります。 病気が働き方を見直すきっかけになったという話は、よ


病みながら生きるという生き方(高橋正雄先生による)
放送大学というのは気前のよい大学で、単位を望まなければ、学費を払わなくても興味がある講座をテレビやラジオで視聴でき、テキストも自由に購入することができます。 土曜日の夜、たまたまスマホでBGMに良さそうな局がないか探していた時に、「中高年の心理臨床」という講座を見つけ、選んでみました。ちょうど聞こえてきた内容が、人生後半を充実させるための生き方として、私が考えていることに通じるものがあったので、がぜん興味を惹かれてテキストをアマゾンで発注。今日、届きました。 それは、高橋正雄先生が書かれた「病みながら生きるという生き方」という章の最後のまとめの部分でした。要約を試みましたが、やはりそのままここに掲載したく思います。 「人生において病むことの意味」 1.日常的な義務から解放されて休養ができる。 2.社交や世間体などのために費やす時間が減る。 3.行動が制限される分、孤独で内省的になり、感覚的にも敏感・繊細になる。 4.これまでの生き方を振り返って、自分の人生で真に大切なものを 考える機会になる。 5.病気をそれまでの生き方に対する警告として受け止め


職務経歴書は企業からのラブレターへの返信
毎度、テレビネタで恐縮です(笑) 金曜日の夜、NHKで「ツバキ文具店~鎌倉代書屋物語~」という番組が放送されています。最初は、食事のBGMくらいにつけていたのですが、職務経歴書のコンサルティングに通じるところがあることに気づいて、面白くなってきました。 主人公は、手紙の代書を請負う女性(多部未華子さん演じる鳩子)が主人公です。祖母の後を継いで、しぶしぶ始めましたが、やがて代書を依頼する人と手紙を受け取る人の人生に影響を与える仕事であることに気づいていくという物語です。鳩子は、手紙を出す目的、二人の関係、二人の気持ちなどについて、依頼者に質問をしたり、時には縁の場所を訪ねたりして、自分の疑問を解いていきます。 鳩子が、依頼者と受け手、双方の幸せを願って真摯に文章を紡ぎ出そうとする、そのプロセスが、職務経歴書のコンサルティングのプロセスと似ているなあと、主人公に感情移入しながら見ています。 職務経歴書を書く目的は、過去の業績をアピールして、最終的には入社する(採用される)ことです。職歴や実績を事実として理解できていれば、職務経歴書へのアドバイスができ


40代で仕事に悩んだとき考えるべきこと(3)目的地へ
年齢に関わらず仕事に悩むということはありますが、年代ごとに悩みの内容が違っています。経験値が違うわけですから、違っていてほしいし、違ってくるはずですね。 40代は会社の中では中核を担う世代で、上からも下からも頼られる存在でありながら、内心は自分の限界が見えてきて、先行きに不安や戸惑いを感じ始める方が多い時期と言えます。 今までと同じ働き方では通用しなくなってきたと感じたら、働き方や価値観を見直して、次のステージに移るタイミングに来たのかもしれません(「40代で仕事に悩んだとき考えるべきこと(1)」2016年1月)。そして、一度立ち止まって現在地と目的地を確認してみることで次のステージに移る準備を進めましょう(「40代で仕事に悩んだとき考えるべきこと(2)」2016年6月)。 改めて確認しますと、 現在地とは、能力やスキル、働く上で大切にしている価値観や信念、周囲からの期待や担っている責任であり、それを説明できる経験や実績です。目的地は、何をして、誰と一緒に、何(誰)のために働いていたいか。その結果、どのような生活を営んでいたいか、というビジョンで


時間が盗まれるに任せない
いつからこんなに忙しくなってしまったのか、と思うことがあります。たとえば、小学校1年生で年賀状を石膏版画で作って以来、35歳頃までは毎年、数百枚の年賀状をゴム版画で作っていました。図案を考えて彫る。何色も色を重ねるために、乾くのを待つ。一人ひとりにメッセージを書く。よくそんなにも悠長なことができていたものだと思います。 年賀状は、やがてパソコンで裏表を作るようになり、この数年は思いきって枚数を減らした上で印刷を頼んでいます。 時間の使い方に関して気持ちの余裕が失われ、楽しいはずの休暇にも急かされるように時間を使うようになってしまったのには、やるべきことが増えたことも一因であろうと思います。しかし、それ以上に、パソコンや、今ではスマホやタブレットによって、多くの情報を得られるようになったことが大きいと考えています。 インターネットによって、必要な情報を探したり買い物をしたりする時間は、圧倒的に短縮されました。その一方で図らずも費やしてしまう時間が増えてしまったのです。 最初は必要に応じて調べていたつもりが、言葉巧みに興味を喚起されて情報を追いかけて


人生の使い方
40代後半になりますと、体力や気力の衰えを嘆く方が増えてくるようです。私自身、体力の衰えに直面しました。還暦まで2年となって、最近は脳力の衰えも実感しています。 体力の衰えを感じてから、時間の有限性を意識し始めました。これからますますできることが減っていくことを考えずにはいられません。いつまで働けるのか、今までと同じ生き方をしていて後悔しないのだろうか。自問していました。 創業経営者の方には、若い頃に死に直面するできごとを経験された方が多いと聞きます。また一般の方でも、死に直面して生き方を変えたというお話はよく耳にします。実際に私の知人は、脳こうそくで倒れたことをきっかけに、猛烈な仕事振りで有名な企業からNPOに転進しました。 強烈な体験をしていなくても、死はひそかに迫ってきています。最期までそのことに気づかないこともあるかもしれません。私の父は62歳で急逝しました。白髪染めとも老眼鏡とも無縁で、本人は長寿の家系だと信じていましたので、突然寿命が尽きてしまい、本人は気づかないままだったことでしょう。 ぴんぴんころりと言いますので、ひとつの幸せなエ