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45歳。「あとは余生だ」という言葉に隠されていた事情

今回の先達:加藤俊之さん(61歳)

      一般財団法人海外産業人材育成協会(HIDA)エキスパート

聴き手  :山川純子(ライフキャリアアドバイザー/捨てるキャリアコンサルタント)

「やまかわさん、覚えてるかなぁ。雑談で、これからは余生だと言ったことあったでしょ」

私にとって印象深く忘れられなかった言葉を、加藤さんご自身も覚えていたとは。今回、加藤さんに取材を申し込んだ最大の理由は、まさにその言葉でした。45歳で余生とは早いんじゃないかと、口には出さなかったものの、加藤さんの言葉を聞いたときに私は思いました。

加藤さんは、初職(日産自動車)の先輩です。1999年から2000年にかけて会社再建の動きが慌ただしい中、2000年4月に加藤さんは関連会社に出向、私は退職し、以来まったく接点はありませんでした。

フェイスブックで偶然再会した加藤さんは、ネパールに住み、バードウオッチングや山歩きを楽しんでいる様子。今仕事はどうしているのか? 余生と決めてからどのように過ごしてきたのか? 楽しげな投稿を見て、いくつもの疑問がわいてきました。

取材を申し込んだところ、3月には日本に戻るということで、ようやく話を聴くことができました。

ネパール マチャプチャレの山並み

Q: ご無沙汰していました。ネパールに行ってらしたとは。

加藤さん:JICAのシニア海外ボランティアに応募して、2014年1月から2年間駐在していたんだよ。最終的には、コンピュータ技術者として、ITへの取り組み方やIT人材の開発についてネパール政府に対して提言書をまとめました。

Q: どのような経緯でネパールへ行くことになったのでしょうか。最後にお会いしたのは、15~16年前かと思いますが、その間のことをお伺いできればと思います。

加藤さん: 実は、僕は10万人に1人といわれる多重癌(注)の体質でね。やまかわさん、覚えてるかなぁ。雑談で、これからは余生だと言ったことあったでしょ。あの時はもう癌だったんだよね。転移しやすいタイプの癌で、10年間で9回手術をしたんだよ。でも、不思議と必ず良くなるという確信のようなものはいつも持っていました。

癌が見つかるまでの仕事がハードだったので燃え尽きた感じもあったし、体力的に無理がきかないから、あとは余生でいいかと。IBMへの出向(その後転籍)も渡りに船だったといえます。

Q: 癌を抱えながら、どういうお気持ちでどのように仕事をしていましたか?

加藤さん:44歳で癌だとわかってから、月に一度は癌が転移していないかどうか確認するために通院しなくてはいけなくて、最初の3年は特にきつかったなぁ。息子が高校生の時で、万一を考えて遺言を書きました。

無理が効かないので、週末はきちんと体を休めたり、ウォーキングをして体力をつけたり、生活習慣を変えたことで体力がつき、体調もいい状態で維持できるようになりました。今から思えば、癌がきっかけで生活習慣を見直せたのは、よかったですね。

体調を管理しながら、仕事の方は、紛糾しているプロジェクトの火消し役をかってでたり、やりがいを感じながら、部長として成果を上げることができたと思います。在宅勤務で体の負担を減らしたり、周囲の理解や協力を得ながら仕事をすることができたこともありがたかった。

そして、2012年12月にはIBMを早期退職しました。 (次回に続きます。)

(注)多重癌:転移ではなく、同時に複数発生する癌


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